プラットフォームのデジタル化が進んだ現代においては、顧客の属性、行動習慣、製品・サービスへのエンゲージメントなど、あらゆるデータが戦術を立てる手がかりになります。

2026年にはラジオ開局75周年を迎える株式会社TBSラジオ。分析対象とする聴取者データの粒度の見直しや、AIによる分析視点の多角化によってデータ分析を進め、仮説に基づいて戦略的にコンテンツを配信することで事業成果を高めています。本セッションでは、データを武器に、ラジオ放送に留まらない事業拡大を推し進める同社の事例を通して、事業に価値を返すデータ分析の在り方を探りました。

登壇者紹介

富田 大滋氏

株式会社TBSラジオ 総合戦略局 編成戦略部
2008年TBSラジオ入社。技術セクションに配属され、2010年TBSテレビに出向。通算14年間技術セクションに所属し、後に編成セクションに約2年間所属。
現在、総合戦略局 編成戦略部でradiko、Podcast、YouTubeなどの配信とデータ運用を担当。

山本 健太

株式会社primeNumber 取締役執行役員CIO
新卒でエンジニアとして広告テクノロジー関連の開発に従事。広告配信プラットフォームのフロントエンドおよびバックエンドにてWebアプリケーション開発やプロジェクトマネジメントを経験。2015年、代表田邊とprimeNumberを創業。データ収集・集計・機械学習・コンテンツ配信からなる「systemN ™」開発を経て、現在はprimeNumberにて取締役執行役員CIOとしてプロフェッショナルサービス本部およびデータイノベーション推進室統括にあたる。2020年度「Forbes 30 Under 30 Asia 2020のEnterprise Technology部門」選出。

下坂 悟

株式会社primeNumber 取締役執行役員COO
2013年NTTコミュニケーションズ入社。国内SIer向けパートナーセールスやソリューション提案活動に従事。国内業務の後、同社海外現地法人に駐在。2021年primeNumberに入社。現在、国内外のビジネス領域全般を統括。

ラジオ業界でも需要が高まるデータの利活用。まずは「データ分析のためのデータ分析」から着手

富田氏:株式会社TBSラジオはその名の通り「ラジオ」を生業としていますが、その他にもさまざまなコンテンツを、さまざまなメディア・プラットフォームでお届けしています。そして直近2〜3年で注力しているのが『TBS Podcast』です。

Podcastとは、音声コンテンツをWebサービス上で聴くことができるサービスのことで、ラジオの番組で実際に放送した音声や、Podcast向けに制作したオリジナルの番組を配信しており、すべて無料で視聴することができます。

『TBS Podcast』は2024年12月現在、国内最大規模のプログラム数と再生数を誇っています。タイトル数は150以上、エピソード数、コンテンツ数は37,000を超えており、月間再生回数では2,600万回以上(※2024年12月時点)と現在もスケールし続けている、頼もしいプラットフォームです。

また、弊社はYouTubeにも注力しています。チャンネルを開設した10数年前は、『TBSラジオ公式(@tbs9259)』というひとつのチャンネル上でさまざまな番組を配信していました。現在はリスナー目線に立ち返って番組ごとにチャンネルを独立させており、公式の切り抜きチャンネルを含めて20チャンネル以上を抱えています。2024年12月現在の総視聴回数が11.6億回と、こちらも現在進行系で大きく成長し続けているところです。

下坂:『TBS Podcast』と『TBSラジオ公式』は、今回のセッションの聴取者データに紐づいてくるメディアですね。ビジネスの現場にはあらゆるデータが存在し、それらの扱い方は多種多様です。TBSラジオさんでは、どのようなきっかけからデータを活用していくことになったのでしょうか?

富田氏:これは企業あるあるかもしれませんが、新しい部署が立ち上げられたからです。“DX推進部”や“デジタル推進室”のような、名称は先進的でかっこいいものの、何をすべきか分からない部署が存在しますよね。立ち上げ時、改めてTBSラジオにとってこの新しい部署立ち上げの背景に潜む実態について考えてみました。

部署立ち上げ前から弊社を取り巻く市場の環境が変化しており、「データがないなら番組は買いませんよ」という雰囲気になっていたのです。競合他社が、お客様に対してデータを提供し、データを理解し、データを扱えるというレベルに進んでいるという実態を受け、やらざるを得ない状況に追い込まれていました。

下坂:そうした市場の変化からデータ活用を始められたんですね。データ分析をすることを目的にするのではなく、データで何をしたいのか、なんのためにデータ分析をするのかを考えることは、非常に重要なポイントです。TBSラジオさんでは、どのような目的をもってデータと向き合うことになったのでしょうか。

富田氏:リスナー数の計測と再生時間の最大化ですね。当時、根拠のない状態ではKPIを立てられないと思い、当時の状況を把握するためにリスナー数と収益の関係を分析しました。ラジオにおいて最も重要な存在であるリスナーさんが多ければ多いほど、その番組の収益性が高まるとの仮説を立て、番組ごとにリスナー数と収益性の相関を出しました。

その結果、何と特に相関はないと判明しました。

しかし、だからといってリスナー数は番組にとって必要のない数字だとはなりません。KGIが会社の収益性だったとしても、やはりリスナー数はラジオ番組にとって無視できないデータであるとの結論になり、リスナー数といった聴取者データをKPIとしてデータ分析に取り組むことになったのです。この分析をしたことで、報道の精神のような、収益を立てることだけが目的ではない放送もあると改めて気付かされました。

山本:まさにメディアビジネスの特徴が色濃く出ている観点ですね。私たちは人口が減り続ける国でビジネスをしているので、お客さまを増やすことだけでなくエンゲージメントを高めていく視点がますます大事になっています。これはサブスクリプションモデルのビジネスにおいて、LTV(ライフライムバリュー:顧客生涯価値)が特に重視されるお話とも似ていますね。

「radiko」の登場から本格化したラジオのデータ活用。TBSラジオがデータを活用した番組作成に至るまで

下坂:聴取者データの分析の進め方についてお聞きしていきます。そもそもこれまでTBSラジオさんでは、どのように聴取者データを活用してこられたのでしょうか。

富田氏:TBSラジオは1951年に開局し、2026年には開局75周年を迎えます。開局から70数年はデータを分析して番組制作に活かすことは、ほとんどなかったのが実態だと思います。こうした状況の転機になったのが、「radiko(ラジコ)」の登場です。株式会社radikoが提供する「radiko」は、スマートフォンやPCでラジオを視聴できる無料のサービスで、番組を提供するコンテンツプロバイダーの私たちにとって配信プラットフォーマーです。

2020年には「radiko」に自社で使えるデータのダッシュボード「radiko viewer」の提供が開始されました。これで予算に余裕がないラジオ局でもデータ分析ができる地盤が固まりました。「radiko viewer」はリアルタイムの聴取者数や番組ランキング、ヒートマップなどさまざまなデータを閲覧できますが、深いデータ分析ができないといった課題がありました。そこで株式会社radikoさんからローデータを提供してもらうしかないとの結論に至りました。

下坂:具体的にはradikoでどのようなデータが取得できるようになったのでしょうか。

富田氏:ここでの“聴取者データ”とは、いつ、誰が、どの番組を、どのくらい聞いたか、というものです。ここに「radikoID」と呼ばれるユーザーの識別符号を組み合わせることで個人の聴取履歴、たとえばA番組とB番組を両方の聴取者であるといったデータを取得できるようになりました。このローデータがなければ、細かい粒度の分析はできなかったでしょう。

山本:近年はマルチメディア化しているので、メディアの方々は扱うデータがものすごく多くなっています。事業規模とデータ量は必ずしも比例しないので、ログデータはほとんど受け取っても大きすぎて分析できるまでに至らない。それを扱うためだけに専用のチームを作ることも難しいので、手に余ってしまう企業が多いという印象です。

下坂:データが多すぎて困ってしまうということですね。改めて具体的に聴取者データをどのように分析したかお伺いできますか。

富田氏:「リスナー数の増加」と「再生時間の最大化」を目的として、聴取者データの分析を徹底的に行いました。radikoから取得できる聴取者の性別や年齢といった一般的なデータだけでなく、天気や祝日の情報までも掛け合わせたり、AIを活用してクラスタリングやPythonによる分析をしたりと、聴取者データを多角的に分析していきました。『TBS Podcast』とYouTubeチャンネルのサムネイルがどのようなものがいいのかについてもCloud Vision APIをつかって分析しました。もちろん意味のあるものばかりではありませんでしたが、そのデータに意味がないことが分かったことにも意味があったと思いました。

下坂:とにかく行動してあらゆる角度から分析し、意味のあること・ないことの分類分けをし、何をすれば聴取者や再生時間を最大化できるのかを模索していったということですね。

富田氏:そうですね。最初から結論を決めつけず、分析結果がわかることを楽しみながらデータ分析を進めました。

下坂:聴取者データの分析ではどのような苦労がありましたか。

富田氏:データ分析の意義が会社になかなか伝わらなかったことですね。「お前が頑張っていることは分かるけども……」という雰囲気からのスタートでしたが、2〜3年かけてようやくデータ用語がプロデューサーにも伝わるようになり、「MAUを上げるためにどうすればいいか」といった議論ができるようになりました。

下坂:ラジオ番組を作られている方からすると、自分の感性や感覚が正しいという考えもありますよね。

富田氏:はい。そのためにも新しいことをする時は「こうしたほうがいいよ」と熱量で伝えるというよりは、データという第三者の確固たるものをいかにして受け取ってもらうのか、ということが重要だと思います。くじけず、同じことを伝え続けること、そして成功事例を作り続けてきたことが鍵だったように思います。

山本:データ基盤の運用といったデータを扱う仕事は、自分たちの価値証明のハードルが高いと思います。データ基盤にはコストがかかります。どれだけのリソースを投下する必要があるのか、そして取得したデータによってどのようなレバレッジが効くのか説明し続けることが大事であり、苦労するところですね。弊社ではお客さまとタッグを組み、企業内での説明を行っています。

ビッグデータを処理するためのアーキテクチャ。各プラットフォームからクラウドDWHへデータを集約

山本:今回、TBSラジオさまが構築された分析環境のシステム用アーキテクチャをご紹介させていただきます。「radiko」のログデータは数億、数十億レコードと膨大な量で取り扱いが難しく、アーキテクチャの構築を弊社が伴走してお手伝いさせていただきました。

まず着手したのは、膨大なビッグデータを処理するための基盤です。今回はクラウドのデータウェアハウスであるGoogle BigQueryを採用させていただきました。そこにradikoのデータの他に『TBS Podcast』のデータやオープンデータ、Web上のデータ、YouTubeのデータなどをGoogle BigQueryに統合しています。そこからLooker Studioで可視化し、AIを活用して次のデータ活用につなげていく基盤を構築しました。

富田氏:今回primeNumberさんにご協力いただいたデータ基盤の青写真は、2020年頃から勉強を進めながら描いていたもので、構築にあたっての苦労はあまりなかったです。実際に、自前でプラットフォームを構築するにはコストが掛かりすぎると他社事例を聞いていましたので、なるべくシンプルに維持費を抑えられる仕組みを導入しました。

聴取者データの分析から視えた、3つのメディアの攻略法。ポイントは新規リスナーの掘り下げ

下坂:TBSラジオさまが分析環境のシステム用アーキテクチャを構築された狙いとして「radiko」や「TBS Podcast」、「TBSラジオYouTubeチャンネル」とそれぞれのメディアでリスナー数を増やすことを掲げられていました。今回の取り組みによって得られた成果や新しいインサイトについてお聞かせください。

富田氏:今回の取り組みでは、それぞれのメディアで別々のインサイトが得られましたが、特に聴取者データの分析結果が色濃く出たのが「radiko」でした。「radiko」で得られたインサイトは大きく3つです。今回はそのうちの2つをご紹介します。

まずひとつが「『radiko』の新規リスナー」と一言で表しても3つの階層に分けられることでした。具体的には「TBSラジオの当該の番組を初めて聞いた人」「TBSラジオを初めて聞いた人」「『radiko』自体を初めて使った人」です。同じ新規リスナーであっても、この3つの階層はそれぞれ聴取者の性質が異なり、当然プロモーション施策も変えねばなりません。たとえば、普段からTBSラジオを聴取している新規リスナーを獲得したければ別番組で番宣を出せば良いですし、「radiko」は使っているがTBSラジオを訪れたことがないリスナーにはSNS広告が有効でしょう。分析しやすく、施策にも落とし込みやすいちょうどよいデータの粒度で分析できたことは大きなポイントでした。

特に大きな成果が出たのは、2022年12月に実施した有名YouTuberさんとのコラボ企画です。施策前に仮説を立てた結果、3つの階層のうち「『radiko』自体を初めて使う人」にターゲットを絞ることにしました。弊社のWebサイトではコラボ企画ページに「radiko」のインストールの仕方や視聴方法、いつまで配信されるかを事細かに記載し、何度も情報を発信しました。

その結果、コラボ企画の放送では聴取者のうち94%が新規リスナー、しかもこれまで私たちが獲得しきれていなかった10〜20代の女性層が大半でした。たった一度の放送でしたが、局のMAUに大変貢献できた大成功の施策だったと思います。これ以降、新規リスナーを獲得する際はまず3つの階層から考えることが浸透しました。

下坂:データからセグメントの仮説を立て、実践した結果が、94パーセント増だったのですね。マーケティングの観点でも素晴らしい施策ですね。

山本:聴取者のデータ分析によって、マーケティングのキャズムがどこにあるのかを特定できたという事例だったと思います。ラジオの聴取習慣がない人を取り込むのは簡単ではありません。一見、大胆な施策であってもしっかりとその結果を分析することで、獲得した新規層を継続につなげる施策にも活かせる部分だと思います。

富田氏:2つ目のポイントがクラスタリングの結果です。弊社の番組表では「総合編成」を掲げていますので、8〜9個のクラスターが出てくるかなと思っていました。実際にはひとつだけのクラスター、おそらく70数年で培ってきたTBSラジオの一枚岩なファンでした。タイムフリーのユーザーでも同じ結果でした。この特性を理解せず、既存のファンを驚かせるような尖った企画をしてしまうと、一枚岩のファンが離れてしまう懸念があると推測できます。

下坂:YouTubeとPodcastについては、どのようなインサイトが得られましたか。

富田氏:まずYouTubeについては、聴取者理解より、YouTubeのアルゴリズム、プラットフォームへの理解が最も重要だったと思っています。プラットフォーム側が視聴者にコンテンツを積極的にレコメンドしてくれるため、コンテンツプロバイダー側はプラットフォームの仕組みを徹底的に理解して配信していくことが重要な要素になってきます。

一つ面白かった例として、地上波で反応が少なかったコンテンツを中国語で吹き替え、アジア周辺の言語で文字起こしを行い、YouTubeで配信しました。結果は16万回再生。どのプラットフォームで、どのように活かすかは、戦術次第で結果が変わってきて、結果が出てくるとこういった取り組みに対する社内の反応も変わってきました。

Podcastについてはクラスタリングの結果、「radiko」と同様にラジオが放送される時間帯に聞かれているというインサイトが得られました。実際のラジオ放送と住み分けるため、検索しやすいコンテンツタイトルを付けるなどPodcastのアーカイブ性を活かす方向の工夫をしました。

またYouTubeほどユーザーの目に留まる面が少ないため、番組のランキングに掲載されるための施策を練りました。さまざまなデータを分析しながら、どうすればフォロワー数が増えるのか、どうすれば完聴率を挙げられるのかを試しました。さまざまな施策を試したところ、ランキング1位を獲得できました。ランキングが上がると再生回数も上がります。ここで得られたノウハウは、今後新たに立ち上げたばかりの番組の認知を一気に高めていく際にとても有効だと考えています。

TBSグループ全体で今後もプラットフォームへの最適化に挑戦したい

下坂:試行錯誤しながらデータを分析し、インサイトを得て、そこから意味のあること・ないことを選択しながら現在の道筋を見つけて結果を出し始めているところだと思います。セッションの最後に、データとラジオコンテンツの未来についてどのようにお考えかお聞かせください。

富田氏:まずはデータ分析をし、狙ったターゲットを獲得するためにPDCAサイクルを回していくという流れを掴んだことで、今後新しいプラットフォームに取り組むことになってもきっと上手くいくだろうという実感を得ました。オーディオの未来はとても明るいと思いますし、コンテンツプロバイダーとしてしっかり戦っていけると感じています。

さらに今後は、TBSグループ全体で昨年に立ち上げた共通ID「TBS ID」を活用し、グループを横断したデータを分析できたら、また新しい挑戦ができるのではないかと楽しみにしています。

ラジオ局として70数年培ってきた24時間365日の稼働を止めない、いわゆる“コンテンツ生産工場”のスキームを今後もしっかり活かし、生み出されるコンテンツをさまざまなプラットフォームに最適化して発信していきたいですね。

下坂:興味深いお話をありがとうございました。私たちの生活に身近なラジオの、見えにくいデータの興味深いお話だったのではないかと思います。さまざまなビジネスのデータ活用に通じる学びが多かったとおもいますので、ぜひご自身のデータ活用につなげていただければ幸いです。